Daily Bible Messages • Easter 1
毎日聖書を読んでみよう
イースターシリーズ 1
マタイ26章17ー20節と26-29節
マタイ26章(新改訳2017)
Matthew 26 (NIV)
イエスが亡くなったのは、ちょうど過越の祭りの時期でした。過越の祭りはユダヤ教にとって重要な祭りで、神様がイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から救い出してくださった時のことを思い起こし、感謝するために毎年祝われていました。昨年、出エジプト記を読んだ時にこの物語を読みました。
過越祭は特別な食事から始まります。そこでは、パンとぶどう酒を含む特別な物が食べられます。一家の長は、神様がどのようにして民を救い出したかを家族に教え、思い起こさせるために、特別な言葉を語り聞かせます。
イエスはこの特別な言葉を述べましたが、ご自身がなぜ死ななければならないのかという重要なことを伝えるために、少し言葉を変えました。
イエスはパンを取り、それを裂きながら、「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」と言われました。これは、パンがご自身の体を象徴しているという意味でした。その体は、イエスが十字架上で鞭打たれ、殺される時に、砕かれるのです。
次にイエスはぶどう酒の杯を取り、「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。」と言われました。このぶどう酒は、十字架上で鞭打たれ、殺される際に流されるイエスの血を象徴していました。イエスは弟子たちに、ご自身の死を通して罪が赦されることを理解させたかったのです。
どうしてイエスの死を通して人々の罪が赦されるのでしょうか。そして、なぜイエスが死ななければならなかったのでしょうか。
ローマ人への手紙6:23前半には、「罪の報酬は死です。」とあります。これは、人が罪を犯したなら、その罪のために死ぬに値するという意味です。この罪とは、虐殺や詐欺といった大きな罪だけでなく、神様の目に正しくないと思われるあらゆる行為を指します。例えば、嫉妬、不親切、困っている人を助けないことなどです。また、私たちを創造してくださった神(聖書の神)を愛さず、感謝せず、信頼せず、敬わないことも罪です。私たちは皆、こうした間違ったことを常に行っているため、神様から引き離され、本来なら肉体の死だけでなく、魂の死も受けるべき存在です。
しかし、イエスは私たちを愛しておられるので、十字架の上で私たちの罪を背負い、私たちの代わりに死んでくださいました。このおかげで、神は私たちの罪を赦し、私たちと神との関係を回復してくださいました。第一ペテロ 3:18 には、「キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、...あなたがたを神に導くためでした 。」とあります。 こうして、私たちは肉体が死んだ後も、永遠に神さまとの関係の中で生きることができるのです。
イースターは喜びの祭りとして知られており、イースターの物語の終わりは喜びに満ちています。しかし実際には、物語はイエスが私たちのために死んでくださるところから始まります。それは決して楽しい出来事ではなく、イエスにとっても非常に苦しいものでした。しかし、それは神様が私たちの罪を赦し、神様と私たちの関係を回復できる唯一の方法だったので、どうしても必要なことでした。