Daily Bible Messages • Easter 2
毎日聖書を読んでみよう
イースターシリーズ 2
マタイ26章36-39節
昨日学んだように、イースターの物語はイエスが私たちのために死んでくださるところから始まります。
イエスは私たちの罪―私たちがしてしまった悪い行い、言葉、思い、すべき善いことをしなかったこと、そして私たちを造られた神を愛さず、感謝せず、信頼せず、敬わなかったすべて―を背負い、私たちの代わりに死んでくださいました。 そのことによって、神様は私たちを赦すことができるのです。
イエスがそうすることができたのは、イエスが100%人間であり、100%神であるからです。人間として、イエスは私たちを代表することができました。神であるイエスは完全な方であり、ご自身に罪がなかったため、私たちの罪を私たちから取り除くことができました。
そして神として、イエスは完全な愛をもって私たちを愛しておられたので、私たちに代わって苦しみ、死ぬことを受け入れてくださいました。しかし、今日の聖書箇所では、人間であるイエスが、十字架上で耐えなければならない苦しみを恐れていたことが分かります。
37節には、イエスが「悲しみもだえ始められた。」と記されています。 38節でイエスは、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」と言いました。そして39節で、「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」と祈りました。この杯は、人間の罪に対する神の怒りと裁きの象徴でした。イエスは、神のこの怒りと裁きを受けることを心から恐れておられました。
イエスは、十字架上で、自分が負う罪のゆえに、父なる神から完全に切り離されることを知っていました。それがイエスにとってどれほど辛いことであったか、私たちには想像もできません。世界が始まる前から、永遠に、イエスと父なる神は完全に一つに結ばれていました。どんなに親密な人間関係でさえ、この親密さには比べものになりません。しかし、イエスが十字架で私たちの罪を負われたとき、父なる神との関係は完全に断ち切られました。このような感情的、霊的な苦痛は、私たちの理解を超えています。
それでも、私たちへの愛と父なる神への忠誠ゆえに、イエスは「しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。 と祈られました。イエスはご自分の苦しみと恐れを神に正直に打ち明け、その後、神の御心を受け入れ、従いました。
イエスが神の怒りと裁きを受け入れてくださったので、私たちはイエスを信じ、自分の犯した過ちをすべて悔い改めるなら、神の怒りを恐れる必要はありません。神の裁きを恐れる必要もありません。イエス様は私たちをこの恐れから解放するために苦しみを受けてくださいました。
私たちはこの箇所にあるイエスの言葉から学ぶことができます。人生で困難や不安に直面するとき、私たちは自分の苦しみや恐れについて神様に正直に告げることができます。私たちが耐えなければならないことは、イエスが私たちのために耐えてくださった苦しみに比べればはるかに小さいことを思い出すことができます。そして、私たちの人生における神の御心を受け入れることができるように、イエスが助けてくださるように祈ることができます。