Daily Bible Messages • Easter 15
毎日聖書を読んでみよう
イースターシリーズ 15
マタイ28章16-20節
ユダはイエスを裏切った後、自殺してしまったため、弟子は十一人だけになりました。今日の箇所には、イエスが弟子たちに与えた教えと励ましの言葉が記されています。
復活したイエスに初めて出会った女性たちと同じように、十一人の弟子たちもイエスを礼拝しました。しかし、中には疑いを抱く者もいました。詳細は記されていませんが、ここでは、信じることと疑いを抱くことが同時に起こり得ることが分かります。
これはクリスチャンが経験するごく普通のことです。心から信じられる時もあれば、サタンが私たちの心に疑いを植え付ける時もあります。こうした疑いを恐れる必要はありません。神が私たちの信仰を増してくださるように祈り、答えを見つけるために聖書を読み、より成熟したクリスチャンと疑問について話し合うことができます。これを繰り返すうちに、私たちの信仰は強まり、疑いは少なくなっていきます。
疑いは信仰の反対で、どちらか一方があればもう一方はあり得ないと考える人がいます。しかし、実際には、信仰と疑いは表裏一体なのです。信仰の真の反対は、疑いではなく無関心、つまりイエスへの完全な無関心です。
イエスはすべての弟子たち、疑いを抱く者さえも受け入れ、彼らに三つのことを命じました。
第一に、「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」と命じました。イエスはすべての国の人々が、自分たちを造られた神との回復された関係を持つことを望んでおられました。しかし、イエスを信じ、神と和解するためには、まず、自分たちを造られた神がおられること、自分が神に対して罪を犯したこと、そしてイエスが自分たちの身代わりとなって死んでくださったことを知る必要があります。弟子たちは、他の人々もイエスの弟子になれるように、この良い知らせを伝える使命を与えられました。
第二に、彼らは信じた人々に、イエスに従いたいという信仰を公に示すために、洗礼を授けることを命じました。洗礼が人をクリスチャンにするのではなく、クリスチャンであることを周りに示すしるしです。水は、イエスが私たちのすべての罪を洗い流し、私たちの心を清めてくださったことを表します。また私たちは、父と子と聖霊の御名によって洗礼を受けることで、聖書の神に属する者であることを示します。
最後にイエスは十一人の弟子たちに、自らが彼らに教えたことすべてを新しい信者たちに教えるようにと言われました。これには、他の人々がイエスの弟子となるよう助けることも含まれています。
イエスが弟子たちに命じたこれらのことは容易なことではありませんでしたが、イエスは常に彼らとともにいると約束されました。彼らはこの使命を一人で行う必要はありませんでした。
これは私たちにとっても素晴らしい約束です。私たちがイエスを信頼するなら、イエスは私たちもまた、人々が信仰を持つよう助けるというこの使命に招かれます。しかし、イエスは常に私たちとともにいて、私たちを助けてくださいます。