Daily Bible Messages • Easter 6
毎日聖書を読んでみよう
イースターシリーズ 6
マタイ27章39ー43節
イエスが十字架にかけられている間、人々は通りすぎながらにイエスをののしりしました。彼らはイエスが「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」(ヨハネ2:19)と言われたことを思い出したのです。彼らはイエスが、46年かけて建てられたユダヤ教の神殿(ヨハネ2:20)のことを言っているのだと思い込み、奇跡的に三日で再建できると言っているのだと勘違いしたのです。そして、イエスが十字架にかけられている姿を見て、自分自身を救うことはできないと決めつけ、奇跡的に神殿を建てることができると考えているイエスを笑いました。
しかし、ヨハネによる福音書 2:21-22は、イエスが神殿を再建すると言われた時、ご自身の体のことを言っていたことを明確に示しています。神殿は神の家であり、神が人々と出会う場所でした。イエスはご自身が神であるため、ご自身の体こそ神の住まいでした。イエスの言葉は、もし殺されても三日後に復活することを意味していました。
ユダヤ人の指導者たちもイエスをあざけり、十字架から降りて神の子であることを証明すれば信じてやる、と言いました。イエスはすでに彼らに多くの驚くべき奇跡を行われていたにもかかわらず、彼らはイエスを信じようとしませんでした。たとえイエスが十字架から降りたとしても、彼らの考えは変わらなかったでしょう。
今日の世界にも、このような人がたくさんいます。彼らは証拠がないから神を信じられないと言います。もし神が自分たちに現れたり、奇跡を起こしたりすれば信じるだろうと主張します。しかし、神はすでにイエスを通して現れ、多くの奇跡を起こしておられるのに、彼らは信じようとしません。もし神が直接彼らに現れたとしても、彼らはおそらくそれはトリックだとか、幻覚を見ているだけだと言うでしょう。これらのユダヤ人のように、多くの人々はイエスを信じようとしないのです。
42節で、ユダヤ人の指導者たちは「イエスは他人を救ったが、自分は救えない!」と言いました。これは非常に興味深い発言です。一方で、彼らは間違っていました。イエスは神であり、簡単に十字架から降りて自分自身を救うことができました。しかし、イエスはご自身の死が神の計画の一部であることを知っていました。私たちを神の裁きから救う唯一の方法は、私たちのために死ぬことであることを知っていました。イエスはご自身を救うこともできましたが、私たちを救うためにそうしないことを選ばれました。つまり、彼らはある意味で正しかったともいえます。イエスは私たちへの愛ゆえに、十字架にとどまらなければならないことを知っていたのです。ですから、ある意味では、ご自身を救うことはできなかったのです。
では、私たちはどうでしょうか。イエスこそ神の御子であり、私たちを神の裁きから救い、神との関係を回復するために十字架にとどまることを選ばれたことを信じるでしょうか。イエスが私たちのために死んでくださったことを受け入れ、自分の罪を悔い改め、私たちを造られた神との個人的な関係を築くでしょうか。