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Daily Bible Messages • Easter 10
毎日聖書を読んでみよう 

イースターシリーズ 10

 

ヨハネ19章28-30節とルカ23章46節

 

ヨハネ19章(新改訳2017)

John 19 (NIV)

​

ルカ23章(新改訳2017)

Luke 23 (NIV)
 

今日読んだ二つの箇所には、十字架にかけられたイエスが語られた最後の三つの言葉が記されています。

 

まず、「わたしは渇く」です。これは驚くべきことではありません。イエスは真昼間に3時間も十字架につけられていたからです。さらに、十字架にかけられた人々は肺が圧迫され、呼吸するためには両足で体を上げなければならず、それは非常に苦しい動作でした。このような肉体的な動きを3時間も続ければ、ひどく喉が渇くはずです。

 

しかし、イエスは苦しみからの解放を求めていたわけではありません。口が乾いていると、話すのが難しくなります。そして、イエスは次に言う言葉が非常に重要であることを知っていました。すべての人に聞こえるように、はっきりと大きな声で話すために、飲み物が必要だったのです。また、「わたしは渇く」と言うことで、詩篇69:21の「彼らは...私が渇いたときには酢を飲ませました。」という預言を成就させていたのです。

 

二つ目にイエスが言ったことは、「完了した」でした。聞いていた人々にとって、これは敗北した者の絶望的な叫びのように聞こえたかもしれません。しかし、イエスが死から復活されたことを私たちは知っています。ですから、これは敗北の叫びではありません。むしろ、勝利の叫びなのです。イエスは神から与えられた使命を成し遂げられました。十字架の苦しみ、父なる神から引き離される苦しみさえも耐え忍ばれました。私たちの罪を取り除き、神との関係を回復することに成功したのです。

 

イエスはなすべきことをすべて成し遂げてくださったので、私たちがすべきことはただ、イエスを信じ、イエスが私たちのためにしてくださったことを受け入れることだけです。イエスの死は、私たちの過去、現在、そして未来のすべての罪と失敗を清算するのに十分でした。私たちは、悪い行いを埋め合わせるために良い行いを積もうと努力する必要はありません。神に受け入れられるために良い人になろうと努力する必要もありません。イエスを信じるなら、神の目に私たちはすでに完全な者とされています。私たちはイエスへの感謝の気持ちから、安心して、神を喜ばせるために生きることに集中することができます。イエスの「完了した」という叫びは、私たちにとって自由への扉です。

 

最後にイエスは「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」と言われました。イエスは、私たちの罪と失敗を背負ってはいても、ご自身は神の目に全く悪いことをしていないことを知っていました。そして三日後に神が自分を復活させることも知っておられました。だからこそ、イエスはご自分の霊を神の御手にゆだねられたのです。

 

私たちもイエスを信じるなら、自分の霊を神の御手にゆだねることができます。なぜ神が私たちに悪いことが起こるのを許されるのか、必ずしも理解できるわけではありませんが、私たちは最終的には神の御手の中にあることを知っています。私たちの体はいつか死にますが、神は私たちの霊を復活させ、天国で永遠に生きられる新しい体を与えてくださいます。(コリント人への手紙第一 15:35-44)
 

私たちはエホバの証人、モルモン教、統一教会とは一切関係ありません。
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