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Luke 3:21-22  |  ルカ3章21−22節

ルカ3章21−22節


今日はルカ3章21節前半をもう一度読んでから、21後半-22節も読みます。


ルカ3章(新改訳2017)

Luke 3(NIV)


私たちは人生で「私はあなたを喜ぶ」という言葉を耳にする機会はあまりないかもしれません。時には「よくやった」と言われることはあっても、「あなたを喜ぶ」という言葉は、もっと深い意味合いを含んでいます。それは、あなたのすべてに心から満足している、あるいは、あなたに対する評価を高めるために何かをする必要はない、という意味です。しかし、今日の箇所で神がイエス様に語られたのは、まさにその言葉でした。神はまた、イエス様を「わたしの子」と呼びました。これは、天におられる父なる神が誰かと性的な関係を持ち、イエス様が生まれたという意味ではありません。イエス様が「人となられた神」であることを意味しているのです。

 

なぜ神は「わたしの子」という言葉を選ばれたのでしょうか。これは、父なる神と子なる神の関係が、完璧な父と完璧な息子の関係に似ていることを示すためだと思います。彼らは互いに愛し合い、信頼し合い、尊敬し合い、共通の資質や特性を持ち、同じ価値観や優先順位を持ち、役割は違っても、同じ目的のために協力し合う関係です。

 

神がイエス様を喜ばれたと言われたのは、まるで神が「これまで生きてきた罪深い人々の中で、ついに罪のない人間が現れた」と言っているかのようです。「長い間、罪ある人間ばかりだったが、ようやくわたしを心から喜ばせる人が現れた。この人は罪なき者である。」

 

昨日学んだように、私たちがイエス様を信じるなら、イエス様は私たちの罪深いアイデンティティを取り去り、代わりに罪のないアイデンティティを与えてくださいます。私たちもまた、神の子となるのです。そして神は私たちに同じ言葉を語りかけます。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

 

これは、私たちが罪のない存在であるとか、私たち自身の力で神を喜ばせるほど良い人になるという意味ではありません。私たちがイエス様と深く結びついているからこそ、神が私たちをご覧になる時、私たちの失敗や弱さではなく、イエス様の完全さだけをご覧になるのです。

 

私自身、以前、神が私を愛してくださっていることを信じるのがとても難しい時期がありました。どれだけ良い人間になろうと努力しても、心の中には自己中心や高慢があることを自覚していましたし、神もそれをご存じだと理解していました。ですから、神は私に不満を抱いている、あるいは怒っておられるに違いないと思っていました。しかし、イエス様を信じることで、神は私をイエス様と同じように見てくださっているのだと理解した時、神が私をも愛してくださっていることを信じやすくなりました。

 

しかし、神は私たちをイエス様と同じように罪のない存在として見てくださるだけではありません。神は私たちの心を少しずつ変え、罪にとらわれない生き方へと導いてくださいます。子どもが成長して親に似ていくように、私たちも徐々に天の父なる神に似ていくことができるのです。

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