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Luke 6:1-5 |  ルカ6章1−5節

ルカ6章1−5節


今日はルカ6章1-5節です。


ルカ6章(新改訳2017)

Luke 6 (NIV)


昨日、私たちはイエス様がまったく新しい生き方、つまり私たちが本来造られた、完全に満たされる生き方を教えておられることを学びました。今日の箇所では、パリサイ人たちがその新しい生き方を受け入れるのがいかに難しかったかが再び分かります。

 

この箇所は一見、ユダヤの律法について書かれているように見えます。しかし実際には、人生のあらゆる場面において、何が正しく、何が間違っているかをどのように判断するかについても語っています。

 

安息日はユダヤ人の休息の日です。十戒の第四戒は、神の民は週に一日休まなければならないと定めています。この戒めは、人々を過労から守るために設けられました。その目的は、週に一度、神との関係や互いの関係を楽しむことに集中できる自由な時間を確保することでした。これは神が民に与えた素晴らしい贈り物のひとつだったのです。

 

イエス様と弟子たちが麦畑を歩いていたとき、弟子たちはお腹が空いて麦の穂を摘んで食べました。これは盗みではありません。ユダヤの律法では、畑の端から麦を少し取って食べることは許されていたのです。これは貧しい人々が常に食べ物に困らないようにするためでした。

 

しかし、宗教指導者たちはこの「穂を摘む行為」を労働とみなし、安息日には禁じられていると主張しました。

 

彼らが弟子たちの行為を責めた時、イエス様はダビデ王が仲間たちと飢えていた時にしたことを思い出させました。本来は祭司だけが食べることを許されていた神殿のパンを、ダビデは自ら取り、仲間たちと分け合って食べました。

 

つまり、イエス様は、神がモーセを通してイスラエルの民に与えた律法は、飢えた人々が食べ物を得ることを妨げるためのものでは決してなかったと言っているのです。神は人々を気遣い、十分な食べ物を得られるように願っておられるのです。

 

さらに、イエス様は自分が安息日の主であるとも言われました(5節)。これは、神であるイエス様には、安息日に関する律法の解釈を定める権利があることを意味します。何が労働で、何がそうでないかを決める権利があるのは、宗教指導者ではなくイエス様なのです。パリサイ派の人々がイエス様に疑問を呈したこと自体が間違いでした。

 

イエス様が安息日の主であるならば、イエス様は律法全体の主でもあります。つまり、イエス様はあらゆる状況において、何が正しく何が間違っているかを定める権利をお持ちなのです。私たちはしばしば、文化や周囲の人々の意見、あるいは自分自身の感覚に基づいて、何が正しく何が間違っているかを判断します。パリサイ派の人々もそうでした。しかし、イエス様が安息日の主であり、律法全体の主であるならば、たとえそれが私たちの文化や周囲の人々の意見、あるいは自分自身の心に反するものであっても、まずイエス様の言葉に耳を傾けなければなりません。

 

これこそが、神が私たちを創造された目的である、真に満ち足りた人生を送る唯一の方法なのです。



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