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Luke 6:37-38 |  ルカ6章37−38節

ルカ6章37−38節


今日はルカ6章37-38節です。


ルカ6章(新改訳2017)

Luke 6 (NIV)

 

これは、イエス様が平地での説教の中で語っておられる次の箇所であり、神が私たちを招いておられる、世の価値観とはまるで逆さまに見えるけれど、実は真に満ち足りた生き方について語られる部分です。

 

今日の箇所で、イエス様は、もし私たちが他人を裁くなら、自分も裁かれ、もし他人を非難するなら、自分も非難され、もし他人を赦すなら、自分も赦される(37節)と述べています。また、人に惜しみなく与えるなら、豊かに受けることになるとも語られます(38節)。

 

私たちは、これを日々の生活の中でもある程度経験します。もし私たちが人を裁いたり批判したりすれば、相手や他の人から裁かれたり批判されたりしやすくなります。反対に、他の人に親切で寛容な姿勢を示せば、その人も私たちに親切で寛容になりやすいものです。私たちが人にどう接するかは、その人が私たちにどう接するかに影響します。寛大さや親切は人から人へと広がりますし、批判や裁く態度も同じように広がります。だからこそ、人に優しくすることには、実際に多くの益があるのです。

 

しかし、いつもそうなるとは限りません。時には、私たちが親切に接したにもかかわらず、人から批判されたり、非難されたりすることがあります。また、私たちが相手を赦したにもかかわらず、相手が私たちを赦してくれないこともあります。さらに、私たちが親切に接した相手が、私たちに冷たく接してくることもあります。

 

ですから、イエス様は他の人が私たちにどう反応するかについて語っておられるだけではなく、神が私たちにどのように応答されるかについても語っておられるのです。しかし、ここでイエス様の言葉を誤解しないよう注意が必要です。イエス様は、私たちが人を裁かなければ神は私たちを裁けなくなるとか、私たちが人に惜しみなく与えれば神が必ず私たちを裕福にしなければならない、と言っておられるわけではありません。神の行動は、私たちの行動によって左右されることは決してありません。

 

イエス様が言おうとしておられるのは、私たちの行動が私たちの心の状態を表しているということです。もし私たちが自分の過ちや弱さを認め、イエス様を信じ、神に赦しを求めるなら、神は私たちの罪の記録を消し去り、私たちを御目に完全な者としてくださいます。このように神の赦しを経験すると、他の人が私たちに過ちを犯したり傷つけたりした時にも、自然と理解と赦しの心が生まれます。神から寛大さと慈しみを受けた人は、他の人に対しても寛大さと慈しみをもって接することができるようになるのです。

 

ですから、もし私たちが他の人を裁き、罪に定めるなら、それは私たち自身が自分の罪について神からの赦しを受けていないことを示しています。そして、もしそうであるなら、イエス様が再び来られる時、私たちは裁かれることになります。一方、もし私たちが他の人を赦すなら、それは神がすでに私たちを赦してくださっていることを示しているのです。

 

もちろん、他の人を赦すことがいつも簡単だというわけではありません。私たちを傷つけた人を赦すのは、難しいことです。しかし、自分自身の弱さを知っていると、他の人の弱さにも理解を示しやすくなり、それが赦すことを少しだけ容易にしてくれます。



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