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Mark 1:16-20  |  マルコ1章16-20節

マルコ1章16-20節


マルコ1章(新改訳2017)

Mark 1 (NIV)


この例えでイエス様は、イエス様のことをまだ知らない人々を魚として描写しました。普通の漁師は魚をとりますが、漁師であったペテロとアンデレ、そしてヨハネとヤコブは、その日から普通の魚ではなく、イエス様を知らない人々をとる者となったのです。

 

では、どのようにしてイエス様を知らない人をとることができるのでしょうか。それは、イエス様のことを伝えることによって人々を導く、という意味です。

 

ペテロたちの語るイエス様の話を聞き、イエス様を信じた人々は、例えで言えば「とられた魚」のような存在でした。しかし、人間としての「魚」は普通の魚とは大きく違っていました。普通の魚はとられたくありませんが、ペテロたちが「とった」人々は、自分の意思でイエス様を受け入れたのです。自由を持つ人間は、望んだからこそ「とられた」のでした。その意味で、イエス様が与えてくださった新しい仕事は、ペテロたちがそれまでしていた漁師の仕事よりも、ずっと深い意味と喜びのある働きだったのではないでしょうか。

 

ペテロとアンデレは網を捨てて漁師の仕事をやめ、イエス様に従いました。ヨハネとヤコブは父親のもとを離れ、イエス様について行きました。つまり、仕事や家族よりもイエス様を大切にしたのです。それは驚くべき決断です。

 

ルカ5章1–11節によると、この4人の漁師はイエス様に呼ばれる前から、すでにイエス様の教えを聞き、奇跡を目にしていました。だからこそ、イエス様の力と知恵を知っており、すぐに従う決断ができたのでしょう。イエス様と共に歩むことこそが幸せへと至る、本当に素晴らしい特権であり、何よりも大切だと分かっていたのだと思います。

 

では、私たちはどうでしょうか。イエス様について行くために、何を捨てる必要があるでしょうか。神様を喜ばせない行動、自分の成功だけを追い求める生き方、家族や仲間からの評価へのこだわりなど、手放すべきものがあるかもしれません。

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