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Mark 1:40-42  |  マルコ1章40-42節

マルコ1章40-42節


​マルコ1章(新改訳2017)

Mark 1 (NIV)


ツァラアトは酷い皮膚の病気でした。当時のイスラエルでは、ツァラアトのような皮膚の病気は単なる医学的な問題ではなく、霊的に汚れていると見なされていました。そのため、病気の人は共同体から離れた場所に住み、他の人が近づかないように小さなベルを鳴らして注意を促さなければなりませんでした。誰もが感染を恐れてその人に触れようとはせず、もし触れてしまえば、その人まで汚れたと見なされてしまうほどでした。


そのような状況にもかかわらず、イエス様は手を伸ばしてツァラアトの人に触れました。普通なら触れた側が汚れるはずなのに、イエス様の場合は逆で、病気の人がきよくされました。これはイエス様が体の病気だけでなく、霊的な汚れをも取り除く力を持っていることを示しています。


この病人は、ユダヤ人が神様以外には癒せないと信じていた病気を抱えながら、イエス様に助けを求めました。40節の言葉を見ると、この病人が深い謙遜と信仰を持っていたことが分かります。「お心一つで、私をきよくすることがおできになります」という言葉には、イエス様が癒す力を持っていると確信していた信仰が表れています。しかし同時に、イエス様が自分のような者を助けてくださるかどうかは分からないという謙遜も感じられます。自分はイエス様の助けに値しないと思っていたのでしょう。そのような信仰と謙遜を持っていたからこそ、イエス様は彼を深くあわれみ、癒してくださったのだと思います。


41節には、イエス様が彼に対して深いあわれみを抱かれたと書かれています。


私たちはツァラアトのような病気によって霊的に汚れているわけではありませんが、心の中には誰にも言えない汚れがあることがあります。忘れたいのに忘れられない恥ずかしい過去、誰にも知られていない罪、自己中心的な思い、よくない態度、妬みや怒りなど、神様の目から見れば心を汚すものが必ずあります。


今日の出来事を通して分かるのは、イエス様はそのような心の汚れをきよめることができ、しかもきよめたいと願っておられるということです。私たちはただ謙虚さと信仰を持ってイエス様に願うだけで、きよい心を与えていただくことができます。

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