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Mark 10:46-52 |  マルコ10章46-52節

マルコ10章46-52節


マルコ10章(新改訳2017)

Mark 10 (NIV) 物乞いとは、弱者が、強者に、必要なものを無償で恵んでくれるようにお願いすること。つまり、弱者のコントロールから外れてしまったものを何とかしてもらう行為です。


バルテマイは自分が弱く、自分の問題は自身のコントロールから外れたものだと知っていました。


イエスさまを、「ダビデの子よ」と呼んだことから、イエスさまが預言されていた救い主、力ある王であると認めていたことが分かります。


またバルテマイは、自分が盲目であることに対して、「こんな状態を改善してくれない神様は俺のことになんて気にかけていないんだ」と卑屈になったり神様から背を向けたりしませんでした。自分に必要なのは、神様の深い愛による慈悲だと理解し、目に見えなくてもそこにイエスさまがおられると分かった時、「あわれんでください」と叫びました。周りの多くの人たちが黙らせようとしても、決してあきらめずにますます叫びました。


私はこの箇所を読み、バルテマイのように祈ろうと励まされました。私は子供や家庭、仕事において、また世の中のことも、自分のコントロールから外れたことが起こると慌てます。理解できないことや、自分の説得や努力で変えられないこと、見えない将来を心配して眠れなくなります。


「自分の状況をコントロールしたくてたまらない私をあわれんでください!自分の人生の王座から降りますから、王なるイエスさまがそこに座して支配してください!」と叫び求めると、イエスさまは、「わたしに何をしてほしいのですか」と具体的に聞いてくれました。私は、「主よ、見えるようになりたいのです」と答えました。


「神様がすべてのことを共に働かせ益としてくださることを見たいのです。私が心配している人たちを、私が愛する以上に神様が愛されておられることを見たいのです。この世の限りある人生のためだけではなく、永遠に価値あるものを大切にできるように、神様が見ている目線ですべての物事を見たいのです。」


52節でイエスさまは、「あなたの信仰があなたを救った」と言われますが、信仰は神様からの賜物です。信じることですら、私たちが自分を誇れるものではなく、神様がくださったギフトなのです。


バルテマイに与えられた信仰は、イエスさまを追い求めさせ、イエスが誰であるかを理解させ、イエスさまの元へ謙虚に来て、「私をあわれんでください」と願わせ、イエスさまに「見えるようになりたい」と伝えることができる信仰でした。


この前の箇所の36節でもイエスさまは、「何をしてほしいのですか」と弟子たちに聞かれています。この時の弟子たちの願いは自分が権力を握りたいというものでした。あなたは、イエスさまに、「わたしに何をしてほしいのですか」と聞かれたら、何と答えますか。



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