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Mark 11:20-24 |  マルコ11章20-24節

マルコ11章20-24節


マルコ11章(新改訳2017)

Mark 11 (NIV) 昨日の聖書箇所で、なぜいちじくの木が根元から枯れていたのかということを学びました。イエス様は、このいちじくの木に向かって「今後いつまでも、だれもおまえの実を食べることがないように」と言われたことを通して、エルサレムの宮がローマの兵士によって破壊されることを伝えました。


このいちじくの木がイエス様の言われた通りに、本当に根元から枯れていたのを見たペテロは驚きました。おそらく、人に言われただけで木が枯れるというのは、不自然に思えたからでしょう。


しかし、イエス様は普通の人ではありません。神様として、何でもでき、言葉だけで木を枯れさせることももちろん簡単にできます。


しかも、22−24節によると、イエス様だけではありません。普通の人間である弟子たちも、イエス様にならって神様を信じて祈り求めれば、不可能と思われることさえ与えられます。


23節の「この山」とはユダヤ教の宮だと思われているので、「立ち上がって、海に入れ」というのは、イエス様がいちじくの木に言われたことと同じ意味のようです。つまり、宮が壊され、神様に喜ばれない礼拝のやり方が終わることを指しています。


いちじくの木に関する出来事を通して、宮が破壊されるというのは神様のご意思にかなっていることが分かります。そのため、もし弟子たちが神様に喜ばれない礼拝のやり方が終わるようにと祈ったとしたら、神様はその祈りに答えてくださいます。


したがって、24節は、神様を信じる人が祈りで何を求めても、神様が必ずそのまま与えてくださるという意味ではありません。神様のご意思に合うもの、つまり神様の目から見て良いものであれば、不可能と思われることでさえ神様は与えてくださる、という意味です。


神様を喜ばせることと、神様に喜ばれないことを知れば知るほど、神様のご意思に合わせて祈ることができ、祈りの答えを見ることもできるのです。



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