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Mark 11:22-25 |  マルコ11章22-25節

マルコ11章22-25節


マルコ11章(新改訳2017)

Mark 11 (NIV)


25節はそのもう一つの例です。ある人が祈りの中で神様からの赦しを求めていても、もし心の中に誰かへの恨みを抱いているなら、その人を赦さないというのは神様のご意思ではありません。したがって、その人の祈りは叶えられず、罪も赦されません。


しかし、それとは対照的に、ある人が恨んでいた相手を赦すなら、その人の罪を赦すことは神様のご意思に合うことになります。したがって、その人の祈りは叶えられ、罪が赦されます。

言い換えれば、神様に自分の過ちや罪、失敗を赦していただきたいと思うなら、自分を傷つけた人の過ちや失敗も赦さなければならないということです。


ここで言う赦すとは、自分を傷つけた人がしたことを忘れるという意味ではありません。また、大したことではなかったと思い込むことでもありません。むしろ、その人に対する恨みを意図的に手放すということです。


このように自分を傷つけた人を赦すなら、その人が何の悪いこともしなかったかのように、優しく接することができるようになります。


もちろん、このような赦しは本当に難しい時もあるでしょう。無理だと思うこともあるかもしれません。


例えば、個人的な話ですが、私は小学校でいじめられ、私をいじめた女性たちを赦すことがなかなかできませんでした。


しかし、22–24節で学んだことを思い出しましょう。イエス様を信じる人々が、神様を信じて祈り求めれば、不可能と思われたことさえ与えられます。25節によると、自分を傷つけた人を赦すことは神様のご意思です。だからこそ、神様を信じて赦せるように祈るなら、神様が赦す力を与えてくださるのです。


それが私の経験でした。自分をいじめた女性たちを赦せるように何度も祈り、時間はかかりましたが、最終的には不思議と彼女たちへの怒りが消え去りました。


それこそが、信者の祈りの力なのです。



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