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Mark 6:47-51 | マルコ6章47ー51節
マルコ6章47-51節
イエス様が山で祈っている間、弟子たちは休んでいるどころか、風と戦っていました。
この時だけではなく、マルコの話の中では、いつでも弟子たちがイエス様から離れていると、うまくいきませんでした。それは、私たちにとっても、イエス様から離れることが危険であることを示しています。常にイエス様を信じ、祈りを通して頻繁にイエス様に近づくことは賢いのです。
しかし、弟子たちは苦しんでいても、実際は安全でした。それは、イエス様が彼らを見ていたからです(48節参照)。イエス様は弟子たちの苦しみを見て、奇跡的に湖の上を歩いて彼らのところへ行きました。
ヨブ記9章8節によると、神様はただひとりで海の大波を踏みつけることができるのです。海の上を歩くことによって、イエス様は疑いようもなく、自分が神であることを明らかに示しました。
しかし、湖の上を歩いているイエス様を見た弟子たちは、イエス様だと気づくどころか、幽霊を見ていると思って恐れました。
50節でイエス様が「恐れることはない」と言われたとき、弟子たちはどんな気持ちになったでしょう。
誰かに「恐れないで」と言われたからといって、恐怖が急になくなるというわけではありません。しかし、恐れる理由がないと示されたなら、その恐怖は消えるでしょう。
そのため、イエス様は「恐れることはない」と言う前に、「わたしだ」とも言われました。イエス様が共にいるなら、恐れる理由は全くないのです。
しかも、50節で書かれている「わたしだ」という表現は、元々の言語では、出エジプト記3章14節で神様がモーセにご自身を紹介したときの個人名「わたしはある」と同じ意味です。つまりイエス様は、自分がいれば、神様ご自身がいるのだと宣言されたのです。この言葉を聞いた弟子たちは、大きな励ましを受けるべきでした。
私たちはどのような時に恐怖を感じるのでしょうか。心の中にどのような恐れがあるのでしょうか。何を恐れていても、神様であるイエス様が共にいるなら、恐れる理由は全くないのです。
何かを恐れているときには、その恐れを神様に 告白し、神様からの勇気を求めましょう。