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Mark 8:34 | マルコ8章34節
マルコ8章34節
イエス様が救世主として、人間をサタンの支配から解放するために、ご自分が捨てられ、殺されなければならないということを、私たちはすでに学びました。今日の箇所では、そのイエス様について行こうとする人も同じように、自分を捨て、自分の十字架を負うべきだということが分かります。
しかし、自分を捨て、自分の十字架を負うとは、私たちにとってどういう意味なのでしょうか。
自分を捨てる とは、神様の助けによって、自己中心的な自分を捨て、神様の目から見て正しいことをしようとすることです。
当時、十字架刑にされる人は、処刑場所まで自分の十字架を運ばなければなりませんでした。ですから十字架を負うとは、死を意味していました。
イエス様がご自分を信じる人たちのたましいを永遠の死から守るために死んでくださったので、信者は感謝をもって、必要であればイエス様のために死ぬ覚悟を持ちます。しかし、ここでイエス様が教えている主要なことは、それだけではありません。
自分の十字架を負うとは、イエス様について行く人が、イエス様を知る前には当たり前だと思っていた自己中心的な生き方を殺す、という意味です。つまり、自分のためではなく、イエス様のために生きるということです。また、イエス様の生き方を模倣しようとすることでもあります。例えば、すべての人に優しくしようとすることなどです。
実際、今の日本でイエス様のために命を落とす必要がある可能性はほとんどないと思いますが、誰であってもイエス様について行こうとするなら、自分の人生をイエス様に委ね、自己中心的な自分を捨て、イエス様に導かれる通りに歩むべきです。
このように自分を捨て、自分の十字架を負うことは、決して簡単ではありません。しかし、イエス様は優しく、心が広く、しかも完全な知恵を持っておられます。ですから、イエス様を信頼してついて行くと決めれば、大変なことに直面することがあっても、最終的には最も良い道へと導かれます。
さらに、この生き方が難しくても、何でもできるイエス様が助けてくださいます。イエス様を信頼する人は、このように生きることができるようになり、イエス様と共に歩む喜びを味わうのです。