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Mark 8:35-37 |  マルコ8章35-37節

マルコ8章35-37節


​マルコ8章(新改訳2017)

Mark 8 (NIV)


昨日は、自分を捨て、自分の十字架を負うということについて学び、それはとても難しく、イエス様の助けなしには誰もできないことだと分かりました。しかし、今日の箇所では、イエス様について行くことが難しくても、イエス様について行かない方がもっと辛いということが示されています。

 

35〜37節は少し理解しにくいですが、それはイエス様が二種類のいのちについて語られたからです。一つ目は、自分の欲望や好みに従って決める、自己中心的な生き方としてのいのち。もう一つは、自分を創造した神様との個人的な関係を通して、たましいが永遠に生きるといういのちです。

 

このように分けて読むと、イエス様の言葉が理解しやすくなります。「35,自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。36,人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。37,自分のいのちを買い戻すのに、人はいったい何を差し出せばよいのでしょうか。」

 

つまり、イエス様について行く人は、たましいが永遠に天国でイエス様と共に幸せに生きることができます。しかし、イエス様について行かない人は、たましいが失われ、永遠にイエス様から離れて地獄で苦しむという意味です。地上での人生が長くても100年ほどだとすれば、永遠に生きるたましいの方がどれほど大切かは明らかです。

 

この教えは、当時のユダヤ人にとって受け入れがたいものでしたし、現代の私たちにとっても簡単ではありません。自己中心的ないのちを捨てるためには、自分の欲望を抑える必要があります。しかし、それは満足よりもむしろ不満につながるように感じるかもしれません。

 

しかし、より良いものを得るために何かを手放すというのは、私たちの日常でも当たり前に行っていることです。例えば、試験に合格するために遊ばず勉強すること、旅行のためにおやつを買わず貯金すること。遊ぶ時間やおやつを失いますが、その代わりに合格や旅行という大きな喜びを得ます。失うことには意味と価値があるのです。

 

同じように、イエス様について行く人は、やりたいことや持ちたいものを手放す必要がある時もあります。しかしその代わりに、イエス様との親しい関係を通して、何よりも心を満たす喜び、平安、希望を得ることができます。さらに最終的には、苦しみのない天国で永遠にイエス様と共にいる喜びが与えられます。

 

だからこそ、イエス様の助けによって自己中心的ないのちを捨てることには、計り知れない価値があるのです。

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